「神の存在」を数学的に論理展開できるのか
「世界が合理的にデザインされているのは神がいる証拠だ」と、これほどまでに複雑で奇想天外な世界が出来たのには確実に神の意志があると考える人がいる。
このような主張を帰謬法(背理法)と言い、ある考えがいかにおかしい結果になるのかを示して証明することを指す。
これに「世界が合理的にデザインされているのは神がいる証拠だ」という主張を当てはめると、
1、神がいなければ人間が進化できるはずがない
2、人間は進化してきた
3、よって神がいないとは考えづらい
という三段論法が考えられる。
考えを進めるために、神がいるかいないか、それぞれの場合に人間が存在するかしないかを考えた2×2のテーブルを想定する。
「神が存在しないが人間はいる」と考えた場合、人間はいくつもの要因に依存して生まれたことになり、確率はわずかである。
もし「神が存在する」と考えた場合、神が必ず人間を想像するとは限らないが高い確率で人間が誕生する。
そして現に人間が存在している以上、テーブルの「人間が存在しない」部分を排除する。
よって「神は存在し、神により人間は存在している」と考えるのがもっともらしい。
この論理の欠点は「存在か不存在か」の二項対立で仮定していること。また単一の神のほかに複数の神を想定するコミュニティもあるという事である。また可能性の一つとして、シミュレーション仮説も存在する。
重要なのは数字ではなく、「神が複数いるならば、それだけ人間を想像する機会が増える」という論理に同意できるかどうかだと言える。
結論として、神がいることを結論付けることはできない。
「神が存在すると考えたほうがもっともらしい」という論理は、それ以上にもっともらしい「世界はだれかのシミュレーションによるもの」という仮定の論拠を述べていることに他ならないからである。
参照: